◎【萩生田富司議長】 次は、第40番、井上睦子議員。
〔40番議員登壇〕
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◎【40番井上睦子議員】 それでは、まず、1945年前後に上川町に建設された相模海軍工廠・八王子分工場の建設経過、そして、概要、安全性の問題についてお伺いしたいと思います。
相模海軍工廠は、イペリット爆弾等の化学兵器や加工兵器の本格的な量産を目的に、海軍技術研究所の化学研究部から昇格した工廠であり、その本廠を現在の神奈川県寒川町一之宮に置くとともに、寒川町の本廠以外にも化学実験部、これは平塚でありますけれども、海軍技術研究所において工廠として稼働していました。そして、この寒川で毒ガス製造にかかわった人々は、健康被害に陥り、現在、国からの補償を受けています。
旧日本軍の毒ガスが原因と見られる健康被害が現在相次いで発生しております。まず、ことしの3月には茨城県神栖町で井戸水から環境基準の 450倍の砒素が検出されました。付近の20人の住民にしびれや、子どもたちには言葉や運動のおくれなど、深刻な症状が出ています。分析から、旧日本軍の化学兵器の分解物質の可能性が指摘されています。
また、昨年9月には、八王子に疎開してまいりました神奈川県の寒川の相模海軍工廠跡地で、相模縦貫道路工事現場においてビールびんに入った毒ガスマスタードと催涙剤、クロロアセトフェノンが発見され、掘削作業を行っていた作業員にマスタードが付着して健康被害が生じています。
同様に、神奈川県平塚市でも工事現場から旧日本軍の使った硫酸びんが発見され、土壌から高濃度の砒素が検出されております。そして、その工事現場での工事関係者が頭痛で入院するという被害も起きています。
また、栃木県益子町では、小学校の校庭に埋められているという記録も出てきています。
この毒ガスの被害は中国でも発生しており、日本政府は、1997年に発効した化学兵器禁止条約にのっとり、今、中国国内で廃棄作業に従事しております。戦後58年を経て、旧日本軍が製造した毒ガスが国内外に健康被害を与えていることに、私は大きな恐怖を覚えます。
さて、八王子に建設された相模海軍工廠南多摩分廠について、1985年に発行された「八王子の空襲と戦災の記録」には、川口村の軍事施設として次のように記されています。川口村にあった軍事関係施設の中で最も大がかりだったのが上川口の黒沢入、現上川町の円福寺の北側に疎開した相模海軍工廠南多摩分廠である。相模海軍工廠は、太平洋戦争下、海軍の戦力増強を図るため、昭和18年5月1日に神奈川県の座間、海老名、綾瀬にまたがる地域に設立された。南多摩分廠の建設は19年ごろから始まり、20年ごろには徴用工、挺身隊員、勤労学徒による火薬の爆弾への充てん作業が行われたらしい。50坪内外の木造のバラックが38棟あり、元村長○○○○さんの織物工場を食堂にしていたらしいという。
第3工場の主任だった○○○○さん、この方は海軍技術少佐ですけれども、疎開の概要と生活という項の中で、この南多摩分廠について次のように記している。20年3月ごろには約3分の1程度を移した。当時、川口村村長の○○○○さんが極めて強力に我々を支援し、全村挙げて、協力していただいたものであった。
動員学徒や挺身隊の女子工員等は、寺院や民宿に分散して居住し、懸命に全員で建設に努力した。当時、米軍の空襲も多くなり、当然、不発弾等もたくさん発見されたので、それらを南多摩分廠の山の中の空き地に運び、蓄えた。これは万一の場合の兵器材料として活用することを考えていた。終戦後、分廠接収のため、約50名ぐらいの米軍が駐留していたのであるが、彼らも不発弾の山を見て驚いていたのを今でもよく思い起こすというふうに、これは当時の海軍技術少佐の○○○○さんの回想録から引用されたものです。
そして、同時に、終戦になると、すぐ米軍がやってきて、バラックを別に建てて、火薬工廠を整理するため、1週間くらい滞在していたというふうに当時の状況を村の人たちは語っています。
また、学徒動員で来ていた湘南中の学生であった人たちが、相模海軍工廠学徒動員の歴史を訪ねてという冊子を発行していますけれども、その中に当時の住民の言葉として、工廠は完成しませんでしたが、工場は30棟ぐらい建っていました。地下ごうも掘りましたが、10メートルぐらい掘り進んだところで敗戦になりました。戦争が終わって、進駐軍が来て、残っていた火薬をその掘りかけの地下ごうの中に集め、爆発させました。ごうの前に5間と10間の工場が建っていましたが、爆風で吹っ飛んでしまいました。地下ごうもつぶれました。昭和20年10月のことでしたというような記載がされています。
この旧日本軍のさまざまな施設や資料については、国際法違反の毒ガスを製造していたということから、証拠隠滅のため、その基礎的資料が失われていると一般的には言われています。今、「八王子の空襲と戦災の記録」と、学徒動員の人たちの聞き取り調査の中から幾つかを紹介いたしましたけれども、市は1945年前後に旧川口村に建設された相模海軍工廠南多摩分廠の工場について、この工場の目的、工事の進捗状況、工事の稼働状況についてどのように把握しているのか、お知らせいただきたいと思います。
また、2点目に、敗戦後の処理について、先ほどの「八王子の空襲と戦災の記録」では、米軍が来て爆発させたというような記録がありましたけれども、敗戦後どのような処理がされたのか、そして、その責任者について、市としては知り得ていることがあれば、お示しいただきたいというふうに思います。
心配されるのは、安全性の問題であります。相模海軍工廠は、広く毒ガスを製造していたことで知られています。そして、昨年からことしにかけて、毒ガスが各地で発見され、重大な健康被害をもたらしています。私は、この上川の南多摩分廠で何が製造され、貯蔵されていたのかわかりません。そして、今もそれが残っているのか、ないのか。神栖町や寒川、平塚でのあのような事態が起こらないことを強く願っておりますけれども、安全性についてはどのように確認されているのか、お答えをいただきたいと思います。
次に、投票権を行使するためにということでお伺いいたします。
この4月に行われました都知事選挙、市議会議員選挙については、さきに他の議員からも投票率の低さ等の問題点が指摘されました。私は、入場整理券の配布の問題と、投票所に行くことが困難な有権者のために投票の機会を保障するという2点について質問をしたいと思います。
まず、入場整理券の配布の問題でありますけれども、都知事選挙、市議選挙では共通入場整理券が郵送を、それも世帯単位でされました。これは、他の議員の質問に対して、その理由は財政的な問題との答弁がありました。しかし、個人の参政権の保障、そして、投票を知らせるということからも、各選挙ごとの通知、また、個人単位での通知をすべきではないかと私は考えております。
まず、共通入場整理券の問題ですが、都知事選挙、市議選挙は、投票日が異なるため、投票できる人の条件が異なってまいります。投票当日の有権者は、都知事選挙で約41万 8,700人、市議会議員選挙で41万 4,900人でございました。市議選では、約 3,800人の有権者数が減少しています。これは共通入場整理券が郵送されても、都知事選挙後、転居等した場合、投票できない有権者が約 3,800人、これはその前後の数があると思いますけれども、いることになります。八王子市議選挙の投票ができるという誤解や、不正が発生する危険性があるのではないかと考えますが、このようなトラブルは、この選挙の中で起こらなかったのかどうかお伺いいたします。
そして、市議会議員選挙の投票日は4月27日、共通の入場整理券の郵送は3月27日前後でありました。1ヵ月も前の知らせは紛失などのトラブルを生むし、また、選挙を知らせるという機会が2回から1回となり、有権者への周知という点では不十分ではなかったかというふうに考えますが、市選管はどのようにお考えでしょうか。
そして、入場整理券が共通ということで、市民からの問い合わせや苦情はどのようなものがあったか、お伺いいたします。
また、共通で入場整理券を郵送することによるコスト負担の問題ですが、どの程度の削減になっているのか、お答えをいただきたいと思います。
次に、世帯単位での郵送の問題です。選挙権は言うまでもなく、個人固有の権利であります。したがって、個人単位でこの入場整理券も取り扱うべきではないかと考えています。以前は、個人単位で郵送されていた時期もあったというふうに思いますけれども、いつから世帯単位あての郵便となったのか、お伺いしたいというふうに思います。私は、この2つの選挙を通じて、たくさんの方から個人単位で送ってほしいという意見をいただきました。世帯主あての郵便物を他の家族は開封できない。夫が入場整理券を渡さない。そして、1925年、戦前は男性のみが普通選挙権を獲得したわけですが、戦後、1946年、女性がやっと選挙権を得ることができました。やはりひとりひとり個人として確立していくためには個人単位で、そして、世帯単位で来るのは従属的であるというような気がするということを多くの方からいただきました。私は、ぜひ個人単位で郵送していただきたいというふうに思いますけれども、基本的には選挙権は個人のものでありますから個人単位で送るのが原則だというふうに考えますが、市選管はどのような考えでしょうか。
そして、個別に郵送した場合の費用はどの程度のコスト増になるのか、お示しをいただきたいと思います。
次に、投票機会の保障の問題についてお伺いいたします。
これもたくさんの方からの声をいただきましたが、在宅で介護を受けている高齢者や障害者の皆さん、そして、在宅で闘病生活を送る方々は、投票する意思はあっても、投票所まで行くことがとても困難なため、投票できないという声が、今回の選挙ほど多く聞かれたことはありませんでした。市選管にはこのような実態が届いているでしょうか。そして、もし市民からの問い合わせなどがありましたら、どのような実情としてとらえているのか、具体的にお示しをいただきたいと思います。
次に、郵便による不在者投票がありますけれども、制度が利用できるのは、自分で署名ができて、身体障害者手帳を持つという、その身体障害者手帳でも、それぞれに細かく、1級、2級というような形で限定されています。そして、この郵便による不在者投票ができるのは極めて限られた人々でありますけれども、投票の意思を持ちながら、その機会が保障されていない有権者の存在について、市選管はどのような見解であるのか、お答えをいただきたいと思います。
以上で1回目の質問を終わります。
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